カテゴリ: 世界観
これ早く気づいたほうがいいよね
じゃまいか
大きな出来事が起こって幸せになるんじゃないんだってば
伸びしろだらけの世の中で
その人生のシナリオ、今どき古くない?
引き寄せってスピリチュアルなんかじゃないって話
お金を稼げれば幸せになれるワケじゃないのよ?
今は過去の積み重ねじゃなくて、未来から流れてくるの
幸せは自分が決めるもの
仏陀の言葉
ユダヤの格言
ショーペンハウアーのことば
たとえ1ミリもぶれることなく生きていったとしても
人間は
過去の延長線上に未来がある
と感じる傾向があるようです。
まるで一本道のように。
でも、たとえあなたが
1ミリも変化しなくても、
周りの環境が激変する
可能性があることを、
忘れてはいけませんよね。
リスクって
そういうことかもしれません。
デフォルト傷つく前提で
傷つかずに生きてゆくことなんて
できません。
むしろ、自分に厳しい人ほど、
傷つき疲れ果てることばかりの
世の中かもしれません。
でもね、生きている限り、
いつか傷は治り疲れも癒える…。
そう信じてみませんか。
あなたはそうなれるはずです。
なるんじゃなくてあるんだなこれが
豊かに「なる」んじゃない。
幸せに「なる」んじゃない。
豊かで「ある」ことを
幸せで「ある」ことを
感じるだけでいいんだ。
敵は外じゃなくて内側にいるってこと
リスクとは、
何か新しいことを始めたときに
起こるかもしれない危険のこと
じゃない。
昨日までと同じ事が今日も続くと
信じ切って、
変化に何の心構えも持たない
油断のことだ。
サウイフモノニワタシハナリタイ
水のように
様々に形を変えながらも
あらゆる場所で
何も足さず何も引かず
100%そのままで
生きて行けたなら
人生80年よ?
「もう手遅れ」なんてコト、
ないから。
まだ遅くなんてないから。
少なくとも、
あなたなら。
ノミのサーカスって知ってる?
まだまだ、遅すぎることなんて
何一つないよ。
今から始めたって
何もおかしくないよ。
限界は、自分が決めたところで
出来上がるんだから。
気づくか気づかないかの差
たぶん、幸せってご褒美や賞品のように
「手に入れる」ものじゃなくて、
「感じる」ものなんじゃない?
実はそこら辺にたくさんあるものを、
まるで電波を「受信する」みたいに。
アンテナがちゃんと立っていて
周波数が合ってさえいれば、
いつでも受信できるんじゃない?
全面的な幸福とか全面的な不幸なんてあるわけないでしょ?
去らない嵐はありませんが、
同時に、
嵐がなくなることもありません。
止まない雨はありませんが、
同時に、
雨がなくなることもありません。
明けない夜はありませんが、
同時に、
夜がなくなることもありません。
良い人なんていないのよ
たとえば「良い人」なんていなくて、
良い行いや良い考えがそこにあるだけ。
全てのものには二面性がある。
陰と陽は別々のものじゃなくて、
混ざり合って一つのもの。
「あの人はああだ」
って定義を外すだけで、
ぼくらの心の揺らぎが
穏やかになるかもね。
あとでビッグに回収する伏線かもよ、それ。
空っぽな一日だった?
ダメな一日だった?
こんな毎日が何の役に立つのかな…
そんな風に思えた?
でもね、
いつか、この
空虚にしか思えなかった一日が
役に立つ日が来るかもしれないよ。
だから、
こんな日も
記憶の箱に取っておこうよ。
大切にさ。
あるものさがしでいいものある
自分に「ない」ものを
うらやみ呪うのも
一つの生き方だけれど、
そこに焦点を当てていたら
自分の可能性には気づけない。
自分に「ある」ものを
棚卸しできれば
それは計り知れない魅力だし、
そこに感謝ができた時点で、
ぼくらは幸せであることを
思い出せる。
右から見るか下から見るか
豊かに「なる」んじゃない
幸せに「なる」んじゃない
豊かで「ある」ことを
幸せで「ある」ことを
思い出すんだ
ウツクシサがミニクサに変わるとき
メロディアスな曲は美しい。
バランスのとれた構図は美しい。
綺麗な容姿は美しい。
論理的なのは美しい。
正しいことは美しい。
いつしか「美しい」は
「完璧」や「絶対」と同一視され、
人はそれを追い求め、囚われる。
囚われ自体、既に美しくないのに。
「こうならなきゃ!」なんてつまんない。
あるべき自分じゃなくて
ありたい自分を大切にしたい
そこに大きな隔たりがあっても
自分を恥じたり焦ったりせずに
いつか
二つが一つになればいい
そして
今の自分を認めてあげさえすれば
きっとぼくは救われる
葉っぱは緑色じゃないのよ
雑誌写真で植物が緑色に見えても、
ルーペで拡大して見ると
緑の反対の赤のインクも
使われている。
これがないとくすみや鮮やかさが
なくて、葉っぱとは似つかない
「ただの緑色」になっちゃう。
陰と陽は一体なんだね。
ピンチの中にチャンスが
隠れていたり、チャンスの中に
落とし穴があったり。
どっちか片一方だけってコトは
ないのかもね。
簡単じゃないことに意味があるとするならば。
人生という迷路は
あまりにも上級者コースすぎて、
どの方角に向かっているのか
見失うコトも多いよね。
でも、迷路は
迷路であることに
意味があるんでしょ、
きっと。
歩き続けるプロセスに
価値があるのかもしれないし、
まあうまくすればきっと
出口にたどり着けるよ。
完全でなくても完全だということ。
ぼくらは不完全でいいんだよ?
誰かの不足した部分は、
他の誰かが補ってくれるし、
その他の誰かの不完全な部分だって、
そのまた他の誰かが補ってくれる。
そんなつながりで、
この世界そのものは「完璧」でね。
つまり、不完全なぼくらこそが、
完璧な存在なんだよ?
価値観も常識も、着替えていいんだよ?
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価値観や常識のようなモノサシに
「絶対的なもの」なんてなくて、
その環境に一番合ったものを
選べばいいだけのこと。
水のように柔軟に。
それは「自分らしさを殺す」
ということとは少し違うよ。
価値感や常識や観念は服みたいな
もので、ぼくら自身じゃないからね。
石ころにつまづくということ
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すべての出来事は、人生って道の、そこここに転がっている石ころみたいなもの。
もし、あの石につまづいたり、この石を拾ったりしなかったら、少しずつ違う人生になっていたんだろうな。
見逃して素通りした石ころもたくさんあっただろうし。
それが縁ってコトなんだろうね。
濃淡があって、可能性があるだけ。
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善と悪。上と下。攻と守。愛と憎。動と静。勝と負。栄と滅…。
真逆で、あたかも二つ別々に存在するかのような概念たち。
でも元をたどれば実はボーダレスで、白でも黒でもなく、1でも0でもない濃淡だけの混沌が、ぼくらを招いている。
「変わってしまう」と「消えてしまう」ってまるで別物
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全ては移ろい変わってしまうけれど、「消えてしまう」のとは意味が違うよ。
プラスとマイナスとの境目に存在する「ゼロ」と、すっかりなんにもない「無」とでは全く意味が違うでしょ?
同じように、ぼくらの経験した出来事、もう会えない人々、失ってしまったものたちは、消えて無になってしまったりはしないんだ。
だって、ちゃんと記憶が存在しているでしょ?
形を変えて、意味を変えて、ぼくらの中でつながり続けているよ。
全部、今もちゃんとつながっているんだ。
そうでしょ?